千寿てまり工房とは

ご挨拶

「千寿てまり工房」という名前の由来は、この場所が誕生するきっかけが「手毬(てまり)」だったことです。

日本には、現在も手毬の文化が大切に残されている地域があります。
「手毬」と聞いて、みなさんがイメージするのはどのようなものでしょうか。
その手毬は、どのような人たちが、何を使って、どのように、何を思って作っているのか、ご存知でしょうか。
時代の転換とともに活躍の場面が減り、技術の進歩によって効率的にモノが製造ができるようになった今日でも、なぜ手毬を今でも作る人々がいるのでしょう。

1針1針丁寧にかがられ、見るひとを魅了する手毬。そんな美しい手毬の背景を追い求め、実際に作っている方々にお会いしお話を伺ううちに、様々なことがわかってきました。

1つは、手毬というものが、誰かを思って作ったり、誰かと一緒に作ったりと、人と人との繋がりの中で守られてきたものだということです。また、私たちが手毬を追い求めているうちにも次々と新たなご縁が生まれていきました。
そして、手毬を中心に生まれた不思議な繋がりは、カテゴリを選ばずに広がっていき、ここ千寿てまり工房と繋がりました。
2018年、家主が残したままとなっており、長年使われずにいた古民家を改装。多くの方々にご協力いただき、千寿てまり工房が誕生しました。

手毬について知っていく中で、もう1つ分かったことがあります。
それは、手毬が危機的状況にあること。
いま、手毬のほとんどは、年齢70歳以上の生産者の方々によって作られています。
高い技術が求められ、作るのに時間がかかり、逆向していく時代のニーズの中に置かれた手毬。そのため、もう既に生産者が1人しか残っていないという地域もありました。
「私の代で最後だと思う」
愛おしそうに手毬を眺めながら、そんな言葉を漏らす方もいました。

どうしたら手毬を未来に残せるのか。

千寿てまり工房では、その答えが「作る」だと考えています。
手毬を未来に残すためにも、まずはきちんと手毬を形として残さなければなりません。

そして、時代が変わっていくのだから、求めらるものだって変わっていくはずです。
性別や国・文化などの違いに囚われることの多かった時代から、誰もがより自由に表現できる時代に変わりつつあるように。
千寿てまり工房では、手毬を次の時代に連れて行くために、これまでの伝統に敬意を払いつつ、てまりを「誰もが楽しめる自由なもの」として考えています。

未来を生きる人々に、手毬を好きになってもらえるように。
そして、この千寿てまり工房が、多くの人が出会い、笑い合い、ご縁が生まれていく場所になることを祈っております。

千寿てまり工房

工房ができるまで

東日本大震災を契機に、東北食材や食文化を広めようと 「東北うまいもの酒場プエドバル」を北千住で2015年7月にOPEN。
2018年3月からは食材だけではなく東北にある伝統工芸品「手毬(てまり)」のアクセサリーを製造販売する。

また2018年6月から、てまりアクセサリー「花蓮(カレン)」の製造を、 女性支援活動を行っているSupport for Woman’s Happiness(SWH)に依頼し、 東南アジアにあるラオスの障がい作業所「XonPhao(ソンパオ)」にてはじめる。
その縁で日本ではまだあまり知られていないラオス産のコーヒーを日本で普及しようと、 北千住でラオスコーヒーを提供する「カフェ&ダイニングPOSSO」を2019年3月にOPEN。

その奥の12年間空き家だった古民家をリノベーションし、 ものづくりとワークショップや上映会などに利用できるコミュニテイスペースとして 2019年5月より「千寿てまり工房」の運用を開始した。